テレビレポート:
スタジオパークからこんにちは(NHK 2003/09/09)
本当は7月18日に出演するはずだった「スタジオパーク」
羽毛田さんの2003年の音楽活動の一番大きな成果といえば、NHKスペシャル「文明の道」の音楽制作でしょう。4月から月1回(全8回)の放送が始まったこのプログラム、毎回の放送終了後、番組ホームページに寄せられたメールでも音楽のことについて触れている方がとても多くて、特にオープニング映像とともに流れるメインテーマに多くの賛辞が寄せられました。
また制作したNHKの局内でも、音楽は大好評だったとか。
この大作の作曲者として、羽毛田さんがNHK総合テレビのお昼のトーク番組「スタジオパークからこんにちは」に出演することになったのは、2003年の7月。
当初は金曜日の「スタパDEライブ」で演奏を主に披露することになっていましたが、急に国会中継が入ることになり、直前で番組が中止に。
生放送なので、羽毛田さんの出演も後日延期となりました。
ファンの皆さんが楽しみにしていた出演日は、再度9月9日に決定しましたが、この日はライブ中心ではなく、通常のトーク中心のプログラムの日。
国会中継のおかげで作品や演奏以外の、羽毛田さんのあんなことこんなことが明かされる(?)ことになりました。
≫書庫番であると同時に、羽毛田少年を知る生き証人、羽毛田伝説の語り部、またギターデュオ「マークII」のパシリ?だった私メも、尊敬する羽毛田センパイのために、
おいしそうなネタを少々提供させていただきました。
登場BGMはもちろん「文明の道」
「スタジオパークからこんにちは」の司会は、NHKの上田早苗アナウンサーと小田切千アナウンサー。上田アナは奇しくも「文明の道」でナレーションを担当する方。もう1つ「奇しくも」といえば、「スタパ」が始まる直前の5分間のニュースをこの日担当したのは、「文明の道」で男性アナとしてナレーションを担当する武田真一アナウンサーでした。
スタジオの外、スタジオパークのホールのところから始まるオープニング。
上田アナが「このメロディーに耳をすませて、この映像をご覧ください。」というと文明の道のオープニング映像が流れました。
上田アナ>心がふるえるような…この4月から始まったNHKスペシャルシリーズ「文明の道」の音楽を紡ぎだしてくださった方が今日のゲストです。作曲家の羽毛田丈史さんです。
≫羽毛田さんにこやかに登場。水色のオーバーシャツに黒いズボンといういでたち。ちょっと目が眠そう?な表情。実は、このころ連日激務で寝不足気味だったそうです。
上田アナ>いつも「音楽 羽毛田丈史」と、このお名前が画面に出るが何とお呼びしたらいいのかいつも迷ってたんです。ウモウダでもなく、ハゲタ、ハケタ…
羽毛田>ちっちゃい頃はよく間違われました、「ハゲタ」って。
≫そ、それは間違われたんじゃなくてわざとでは…?私が初めて名札でそのお名前を認識したときは、悩んだあげく「ハモダ」だろうと思い、しばらくそう思っていました。
上田アナ>めずらしいお名前なんですね。
羽毛田>めずらしいですね、ぼくも親戚以外で会ったことがないです。
「その羽毛田さんがどのように音楽を紡ぎだしてらっしゃるのか…」と上田アナがまとめ、羽毛田さん、上田アナ、小田切アナはスタジオへ。
テーマソング「公園へ行こう」(沢田研二&coba)に乗って、ゆっくり歩いて移動する場面ですが、羽毛田さん歩きにくそう。カメラの速度に合わせてゆっくり歩くの、けっこう大変だったのかも?スタジオに入ると同時に、赤ちゃんのときの写真がフォーカスされました。目の辺りに面影が…
いよいよスタジオでトーク開始
上田アナがあらためて「今日のお客様、羽毛田丈史さんです」と紹介し、「この曲を聴いてください」…NHKの朝のドラマ「まんてん」の主題歌だった元ちとせさんの「この街」が流れました。これは羽毛田さんのプロデュースで、バックのピアノ演奏も羽毛田さんが担当しています。
作曲家以外のプロデュースワーク(ゴンチチ、鬼束ちひろなど…)についてや「創り出すだけでなく表現も」とピアニストとしての活動も紹介。
「『文明の道』の壮大な音楽がどのように生まれるのか、ほんっとうに興味がありますよねっ!」と小田切アナ。
≫すごくいい感じです!小田切アナ!
生演奏1曲目「文明の道」
ここで「文明の道」メインテーマの生演奏のため、羽毛田さんはピアノのほうへ移動。
スタジオのピアノはスタインウェイでした。
今回のサポートメンバーはものすごく豪華。
ソロアルバム「PRESENTS」や「image3」でデュエット共演されているチェロの柏木広樹さん、羽毛田サウンドにかかせないギタリストの西海孝さんが、田代耕一郎さんから借りてきたというブズーキ担当、ゴンチチサウンドでおなじみで、羽毛田さんとは劇伴でもいつもいっしょにお仕事をされているパーカッションの梯郁夫さん、そしてアイリッシュホイッスル・リコーダーの第一人者の安井敬さんというスペシャルメンバーでした。
衣装もみなさんカラフルで、柏木さんは黄緑、西海さんは紺、安井さんはエンジ色のシャツ。梯さんはグレーのベスト。プラス水色の羽毛田さんで、彩り豊かでした。
演奏は柏木さんのソロによるモチーフから。持ち寄られた楽器の種類のせいか、エスニックな感じ。ピアノが静かにメロディーを奏でるところ、「文明の道」のサウンドトラックアルバムの最後の曲(Piano solo)のような雰囲気でした。
≫演奏中、八面六臂の大活躍だったパーカッションの梯さん。いろいろな打楽器を次々に鳴らすために、スティックを口にくわえたところで偶然アップに。シビレました。
上田アナ>(演奏が終わって)拍手の前に、息を呑んでしまいました!
≫席に戻るとおもむろに用意されたアイスティーを飲む羽毛田さん。「羽毛田さん・ライブ・ピアノ演奏」といえば、欠かせないのが「水」。演奏の合間に頻繁に水分補給するのが有名(?)ですが、今日もやっぱり…
ここで司会のお2人の興味はめずらしい楽器の数々に。
「今日はねらったわけじゃないんだけど、おもしろい編成なんですよ」と羽毛田さん。
西海さんが持っているブズーキ(ギリシャの弦楽器)、梯さんがたたいたりはじいたりするダルブッカ(トルコの太鼓)、梯さんの足首にまかれているタイの鈴、それからぶら下がっていた大き目の鈴が紹介されました。
この鈴、羽毛田さんはモンゴルのものだと思っていたそうですが、梯さんに聞いたところ、北海道などで馬がつけている鈴で、しっかり日本製だそうです。
そして、安井敬さんの笛はアイルランドのホイッスル。西洋楽器のチェロ。集まった楽器が東西文明の交流でした。
上田アナ>思わぬシルクロードですね!羽毛田さんはいろんな楽器の音色や知識も?
羽毛田>ぼくは昔からいろいろ調べたり音を聴いたりするのが好きで、エスニックやワールドミュージックなど楽器を見たり、「何の楽器だろう」と研究したりするのが好きだったんですよ。
≫よくわかりますわ、その気持ち。私も楽器屋さんにいると至福の時が過ごせます。あと、電気屋さんも好きですけど。
「文明の道」の音楽が生まれた経緯
上田アナは「文明の道」のナレーション担当で、「羽毛田さんの音楽で読まされているところがあるんですが…」と、この大作の生まれたいきさつに話が移りました。
用意されたフリップボードには「ユーラシア大陸」「悲しみのラプソディー」「民族色」の3行が。これは、音楽を作るときに担当プロデューサーから羽毛田さんに示された注文だったそうです。
「悲しみの狂詩曲、と書いてあったんですよ…」と戸惑った当時を振り返る羽毛田さん。
≫全然関係ないんですけど、このフリップボードがずいぶん凝っていて、ユーラシアの砂漠っぽい黄色い色調で、上半分が音符のちりばめられた譜面、下半分がシルクロードのキャラバン隊のシルエット。
以前仕事で作ったことがあるので、ちょっと注目してしまいました。
羽毛田>でも、歴史が好きだったので仕事をいただいたときはすごくうれしかった。今回はただ歴史遺産を取材するだけではなく、そこに人間が介在していることを見せたい、ということだったが、それを2つ盛り込むのは難しいなと…。
物語の要素があると思ったので、「三国志」や「ベン・ハー」など、DVD屋さんに行って、お店の人に「民族がぶつかりあったり戦うシーンのスケールがでっかい映画はないですか?」と聞いて、ピックアップしてもらって片っ端から買って帰った。
そのほか、シルクロードや世界遺産などのドキュメンタリーのDVDや写真集をみたり、映像や写真のほか、もともと好きで持っていた歴史事典を開いてみたりしてインスピレーションを湧かせた。
上田アナ>事典から、あの音楽が…!実際譜面を作り始めるときは、楽器の前で作るのですか?
羽毛田>そうですね、はじめに弾いてみて、モチーフができたら次にいろいろなメロディーが浮かんでくるので、そこから力強いものになっていくために、それらをふるいにかけるというか、そぎ落とす作業をします。
≫頭の中でモチーフが鳴っていて、道を歩いているときなどに次の展開のメロディーが浮かぶそうです。得意なことってそうなんですよね。それが絵の構図だったりウケネタだったり…私の頭は鳴るのも湧くのもいつも言葉なので、羽毛田さんはメロディなんだ〜と面白い発見でした。音楽家だからあたりまえか…
上田アナ>作品ができてオンエアになったとき、自分のイメージと違うところで使われているというのはありましたか?
羽毛田>それはないですね。ぼくは曲を作るとき、自分の思っているイメージやシーンはあるが、それは誰にも言わないし番組と全く関係なかったりする。逆にできたものを渡して全然違うところに付けてもらうことで、音楽が広がるからそこが面白い。だから、オンエアをみるのはすごく楽しみ。「なるほど、こういうふうに使われたら、いいじゃん!」と 。
ここで、8月の1ヶ月はお休みだったシリーズ「文明の道」の放送再開の番組予告になりました。
上田アナ>番組に出てくる音楽はすべて羽毛田さんの作品ですので、ぜひ見て旅をしていただきたいです。
羽毛田>一昨日まで次の新しいのをNHKで録音していたので、どういうふうに(場面に曲が)付くのか楽しみです。
いよいよ過去の扉が開かれ…
続いて、番組にあわせて「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」が開かれていて、東京の後神戸に巡回する…という流れから、上田アナが「実はその神戸が羽毛田さんの育った場所(うまいっ!)…関西人ですか?」
≫ここで、羽毛田さん生後3ヶ月の愛くるしい写真がクローズアップに。若かりし頃のお母様の腕には赤ちゃんの羽毛田さんとダッコちゃんが。
羽毛田>関西人でございます。(のりおよしおののりお風に)
上田アナ>阪神うれしい!って感じですか?(優勝目前だったので)
羽毛田>野球はあんまりみなかったんですけど、関西の食べるものは好きですよ。
≫羽毛田さんは10代を兵庫県西宮市で過ごしてますが、ここは言わずと知れた甲子園球場のあるところ。阪神タイガースの地元ですが、家は地理的にはちょっと離れていました。中学の野球部の子でも、意外に巨人ファンが多かったり…。
そんなもんです。当時は阪急ブレーブスもあって、こちらの球場のほうが近かったし。関西人イコール阪神ファンはマチガイ!
上田アナ>どういう男の子でした?
羽毛田>(生後3ヶ月の写真を見て)この頃ですか?いや、あまり覚えてないですけど…
≪ふつう覚えてませんて。ボケモードに入りました?
(続いて生後8ヶ月のころの天使のように愛くるしい写真がうつり)
(間髪入れず)あ、意外にかわいいですね。(一同爆笑)≪このマの取り方、ベリーグッド。
(続いて10歳の頃の写真。麦藁帽子に吊りの半ズボン、なぜか掌を胸でクロス。)
このころ1人で遠出していなくなっちゃったことがあったらしいです。
上田アナ>夢見る少年、ですか?(羽毛田さん、ぶほっ)
羽毛田>けっこう強くて、迷子になっても近所のオネエサンに「こっちこっち」と言って家まで連れてこさせた。
小田切アナ>さまようのが好き…って感じですか?(一同ぶほっ!)
≫やっぱりすごくいい感じです!小田切アナ!
羽毛田>冒険好きで、すぐどこかに行っちゃうというのはありました。
作曲家・編曲家への道−3つの出会い−
ここから、音楽の道に進むプロセスの話になりました。
●その1 吉田拓郎(BGMは吉田拓郎さんの「マークII」)
羽毛田>小学校6年生頃に吉田拓郎さんの「結婚しようよ」が大ヒットして、レコードを買った。
それまでテレビアニメの音楽などを聴いていたと思うが、そのときフォークに目覚めた。
ピアノはまだ全然やってなくて、ギターを中1ぐらいで買ってもらって、ジャンジャカジャンジャカって感じでした。
>>ここで中学時代に結成したギターデュオ“マークII”の二人組の写真登場。写真のカラーの色あせ具合が涙をさそいます。おお、これぞわが故郷の空の色。
アイカタくんの前髪がうっとーしいのは、当時男の子たちの間では、前髪を伸ばしてそれを頭をふってさっと横に払うのがカッコヨシとされたから。
私もしょっちゅうそのシグサに幻惑されました。(泣)
上田アナ>ウワサによると、すごくもてたらしいですね。
羽毛田>どこでそんなウワサを?
上田アナ>いや、いろいろ同級生の方に取材いたしましたら…≪同級生ちゃいますて。
羽毛田>中学ぐらいの頃は、もてたような記憶があるような、ないような(テレル)。
小田切アナ>またケンソンして…女性陣はみんな羽毛田さんの誕生日を知っているっていうくらい羽毛田さんに注目してたと。
羽毛田>思い出したのは、(バレンタインの)チョコレートの数は、生涯の中で一番多かったですね。で、年々減っていくばかりで。
上田アナ>今分析すると、その当時の羽毛田少年の何がもてたんだと思いますか?
羽毛田>ギターやって、音楽やって、コンサートとかやってましたから…それと、陸上やってたんですよ。わりと速かったんで、土日に試合があって、月曜に全校の朝礼で表彰状もらって…。そういう意味では目立ってたですね。
≫ここで15歳中学3年生のとき、陸上のランニングを着て友人とほほえむ写真登場。当時はみんなずいぶんオニイサンだと思いましたが、こんなに子どもだったのか。解説すると、これは西宮市の中学校全部が集まって高校野球の聖地甲子園球場で、あろうことか運動会をしてしまうという年1回のイベントでの写真。後ろは甲子園球場のフィールドです。
羽毛田さんはとても足が速かったので、学校代表でリレーに出場しました。このほか、運動部合同で長距離走の速い人ばかりを集めて作った駅伝チームにも名を連ねていました。
≫でも、下級生の間にも羽毛田さんの名前を浸透させた一番の理由は、なんといっても羽毛田さんが「生徒会副会長」だったから。
なぜかどこにも出てこないんだ、この話が。選ばれること自体、すでに人気があった証拠ですが…。チョコが最高潮だったのも、この頃です。たしか英語暗唱大会のクラス代表だったし、勉強もよくできる少年でした。
上田アナ>スポーツもできるし、バンドやってかっこいいわぁー≪女子中学生のマネ…
でも、ピアノはまだ弾いてなかった…ピアノってもっと小さいときからやるもんだと思ってました。
羽毛田>いや、そのころは全く弾いてなかったです。
●その2 サザンオールスターズ(BGMは「勝手にシンドバッド」)
羽毛田>高校のとき、サザンオールスターズが西宮に来るというので、前座のオーディションがあって受かっちゃったんです。「勝手にシンドバッド」が大ヒットしたときのコンサートで前座をやった。大きいところでコンサートをするのは初めてでした。
≫ここで「証拠の品」1979年3月11日の新聞のコピーが登場。「阪神版」の3文字がいとおしい。西宮市民会館で「市民コンサートと映画の夕べ」というイベントがあって、それに羽毛田さんのジャズグループ「ホライズン」が出場するという記事でした。
「ホライズン」は、羽毛田さんが関西学院高校に入学して作ったバンド。 写真は、アップライトピアノに座ってカメラのほうに振り返る羽毛田さんと、ギター、ドラムのメンバーたち4人。こ、これは、この場所は…羽毛田さんちの居間!
なつかしくて涙ちょちょぎれます。(<死語?)
そのときの羽毛田さんのコメントを小田切アナが読み上げました。
「プロと一緒に仕事ができて厳しさがわかり、有益だった、と羽毛田くんはいう」
これが入り口…だったんですね。
ピアノとの出会い
羽毛田さんとピアノの出会い。マークIIをやっていたときに、ビートルズに出会い、その後ジョン・レノンに傾倒することに。“Let It Be”などピアノが入っている曲をやるために高1で練習を始めた。そのうちにピアノにとりつかれて、本格的にやろう、習いに行こうと思った。
≫ここで赤ちゃん→小学生→大学生の写真登場。大学生の写真で、やっと今の羽毛田さんに近い感じに。高校のときも、こんな感じだったような。
羽毛田>1976年くらいから、クロスオーバーの時代が始まり、いろんな音楽が出てきた。ジャズ、フュージョン、ディスコ、パンク、テクノ、全部飛びつきました。とりあえずシンセサイザーを買って。
上田アナ>それが全部引き出しになった…。
羽毛田>作曲は好きだったので、音大をめざして作曲、声楽、ピアノなど毎日お稽古事に通った。でも、あまりにいろんなジャンルの音楽がまわりにあふれてきたので、大学に行く頃にバンドの友達にジャズの学校に行こうと言われて、クラシックの学校はやめて、大学に行くと同時にジャズの学校に入った。
上田アナ>それで法学部出身なんですね〜
≫羽毛田さんは関西学院大学法学部卒業
●その3 加古隆(BGMは「映像の世紀−パリは燃えているか−」)
上田アナ>このとき(映像の世紀)のシンセサイザーのアレンジャーは羽毛田さんです。加古さんからやってくださいと?
羽毛田>そうです。
上田アナ>加古さんと出会われたことで、作曲家・編曲家としてどういう刺激を受けたか?
羽毛田>加古さんと30過ぎて出会うまで、ジャンルを問わず興味を持った音楽を全部やっていた。加古さんはぼくと違って、自分のスタイルを確立されていた。そういう人に出会ったことは、衝撃というか、すごく影響を受けた。加古さんは音楽に対して真摯で、まっすぐ向いているというか「これが私の音楽」というものがある。ぼくの道としては、器用でいろいろやるけれど、一個に特化することはきっとできないと思うから、「器用貧乏」ではなく「器用金持ち」になれればいいなと思った。
加古さんと出会ったことで、自分のアイデンティティをどうやって作っていくかということを考えた。「映像の世紀」でごいっしょして、音楽に向かう姿勢みたいなものが、すごく勉強になりました。
上田アナ>「羽毛田ワールド」を意識するきっかけを作ったのが加古さんというわけですね。
生演奏2曲目「地球に乾杯」
ここで「羽毛田ワールドを生演奏で感じさせていただきます」ということで、「地球に乾杯」が同じメンバーで演奏されました。
羽毛田さんの即興的なピアノの導入からモチーフへ、そこに柏木さん、西海さんが合流。梯さんはダルブッカ、安井さんはローホイッスルと、エスニック色の強いアレンジでしたが、これがなかなかよくて、いつか「地球に乾杯」の番組の中で使ってほしいなと思うほどでした。
もっと聞きたい!スタパDE Q
視聴者の方から送られてきたファックスなどの質問に、ゲストが即答するコーナー。
●Q1.大切にしているものは?
羽毛田>大きいテーマですね…。音楽で言うと、インスピレーションとか初めのフィーリングを大切にするようにしている。いろいろ考えても、結局そこにもどるのが正解と思う。
●Q2.リラックス法は?
羽毛田>ヨーガを前からやっているので、瞑想をしたり、最近ではアロマテラピーや足裏マッサージ(なぜかすごく笑う羽毛田さん)、温泉など旅行の先々で探します。
上田アナ>お湯の湧いてるところ、お湯の湧いてるところと。(笑)
●Q3.初恋はいつ?どんな人?
羽毛田>初恋は中学の頃、聡明でピアノの弾ける人でした。でも、告白してすぐにふられてしまい、いまだに理由がわからない。≪羽毛田さん、なんか素になってますよ。
助走期間は半年ぐらいと長かったんだけど、1ヶ月ぐらいでふられてしまった。
小田切アナ>その理由をぜひファックスでお寄せください!
≫小田切アナ、サイコーです!
●Q4.旅行してみたい外国は?
羽毛田>リラックスするには南の島だけど、音楽の旅ではスペインです。ガルシア地方に行ってみたい。スペインに移ったケルトの移民がここで作った音楽に興味があるので。
●Q5.もし作曲家にならなかったら?
羽毛田>考えたことがないからわからない。趣味からそのまま仕事になったので。
●Q6.作曲家として一番こだわっていることは?
羽毛田>自分の中にある「気」やフィーリング。フィーリングが来ないときはつらい。そういう時は、技術や「頭」で作らないといけないから。なるべくフィーリングが来るまで待つようにしているが…。
最後に、視聴者の方から寄せられたメッセージを上田アナが読み上げました。
「ぐっと心に食い込んでくるような音調、『音魂(おとだま)』とも聴こえるような素敵な曲をどのような方が作っていらっしゃるのかと思ったら、今日初めてお顔を拝見させていただき感激です…」という言葉に、とても感激した様子の羽毛田さんでした。
上田アナ>今日のゲスト、羽毛田丈史さんでした。
羽毛田>ありがとうございました。
レポートに起こしてびっくり、こんなに長い番組でしたっけ…。
ほんとに盛りだくさんに羽毛田さんのことがわかりましたね。でも、まだまだ話したいことがいっぱいあったそう。松田幸一さんやゴンチチのお2人との出会いなんかも聞きたかったです。
緑字の解説は…さらっと流しましょう。 (kingyo 040313)